日本におけるキリスト教に基づく教育1 【日本の教育史】

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記事の概要 今回は、キリスト教による教育の歴史と、名門私立校が多数誕生した背景について書きます。

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キリスト教に基づく学校

 
 特定の信仰を持たない人間が、キリスト教に基づく教育について述べるのはおこがましいことですが、日本の「神」が「上」、つまり高い所の存在と古くから考えられ、また、世界の多くの「神」も高所に宿るとされる共通点を不思議に思います。

 さて、東京圏や京阪神地域の大学群を「東京6大学」「関西4大学」「GMARCH」と呼ぶことがありますが、それらの中には立教大学・同志社大学・関西学院大学・青山学院大学といったキリスト教系大学が名を連ねます。それ以外にも、上智大学・津田塾大学などのミッション系有名大学がなぜ多いのでしょうか。

改めまして、学校の誕生

 「学校は児童・生徒・学生が通う所で、ずっと昔からあるものだ」と思われますが、その誕生は明治5(1872)年に発布された「学制」にさかのぼります。それまでは全国で統一された学校はなく、水戸藩による講道館といった藩校や、吉田松陰による松下村塾といった私塾や、庶民の子どもに読み書きを教えた寺子屋がいわゆる「学校」でした。したがって、就学の年齢や修業の年限などの定めはありませんでした。

 さて、外圧により我が国が「開国」すると、さまざまな職種の西洋人が続々と来日します。その一人に、医師であり、ヘボン式ローマ字で知られるアメリカン人のジェームス・ヘボンがいました。江戸末期にも長崎でオランダ医学を学んだ医師はいましたが、戊辰戦争での負傷者への対応では、無力感を味わったといます。したがって、医師を志す若者は、医学の最新の知識や技能を持つ外国人医師に教えを請い、学び始め、それが(私)塾となり、学校となります。なお、ジェームス・ヘボンを祖とする学校が、明治学院大学です。

 医学だけでなく、英語や西洋マナーを学ぼうとする人々の要求に応じて、外国人による塾や学校が次々と開校します。さらには、新島襄による同志社大学や津田梅子による津田塾大学が誕生しますが、そこに集い、学んだのは学力も志も高い学生でした。

 つまり、ミッション系の高校や大学に優秀な学生が集まるという伝統が、現在にも息づいているということです。
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