第二次世界大戦前の国立大学 帝国大学入試 【日本の教育史】

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記事概要 第二次世界大戦前の我が国の最高教育機関だった帝国大学(現在の国立大学)。その当時の「旧帝大」への、入試事情について解説します。
※ 北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の7校が「旧七帝大」、台湾にあった台北大学、韓国にあった京城大学を合わせて「旧九帝大」です。
前回記事(日本初の「高校」)についてはこちら

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帝国大学に入学するまで

小学校から中学校へ

 第二次世界大戦前の我が国の義務教育は、小学校の6年間でした(中には小学4年や5年を終えたところで、「奉公」と呼ばれる就労で、学業を諦めざるを得なかった子どももいました)。小学校卒業後の進学先には、2年制の小学校高等科と、男子であれば入学試験のある5年制の中学校(旧制中学校)と、女子であれば、同じく5年制の女学校がありました。

 中学校・女学校の入試科目は、多くは国語・算術・理科・地理・歴史でしたが、合格・不合格の判定には、小学校(担任)が作成する「内申書」の内容が、大きなウエイトを占めていたと言われます。

授業料免除の学校

 さまざまな理由で小学校高等科に進んだ児童には、卒業後に教員養成学校である「師範学校」に進む道がありました。授業料が免除され、生活も保障されるということで、恵まれない家庭の優秀な児童の進学先として人気がありました。

中学校から高等学校・帝国大学へ

 中学校卒業後の進学先には、3年制の高等学校(旧制高校)がありました。全国の高等学校の入学定員数と、帝国大学の入学定員数とがほぼ一致していたため、高等学校合格が帝国大学への進学に直結している、つまり、ほぼ「無試験」という状況でした。そのため、高等学校入試は難しく、また、倍率も高く、「高校浪人」も多くいました。

 「無試験」と書きましたが、当時から人気の高かった東京帝国大学(東京帝大・現在の東京大学)や京都帝国大学(京都大学)や一部の医学校では、入学試験が行われていました。

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