記事概要 1967年より東京都で実施された「学校群制度」が、都立学校にどのような影響を与えたかを説明します。
学校群制度とは
学校群制度(がっこうぐんせいど)とは入試実施方法の一つである。いくつかの学校で「群れ」を作り、その中で学力が平均になるように合格者を振り分ける方法である。各自治体の公立高校全日制普通科のみが対象であり、専門学科や国立、私立高校は対象にならなかった。
参考 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%BE%A4%E5%88%B6%E5%BA%A6
学校群制度とは、公立高校の入試方法の一つです。地域(東京都では学区)内の複数の高校を群(グループ)に編成して、地域(学区)の高校間の「学力格差を軽減するために」発案された入試方法です。
学校群制度の発祥地は京都府で、1950年に開始されました。当時、京都府知事であった、蜷川虎三(にながわ とらぞう)の発案により開始されています。終戦後の日本で、高校進学率を上げることを目的として、学校群制度が開始されています。
発祥地ということで京都府では、47都道府県で一番長く学校群制度を維持していましたが、2013年を最後に学校群制度は廃止されました。
学校群制度の影響
高校間の学力格差を是正するために考案された学校群制度は、学校群制度を採用した都府県では相応の効力を発揮しました。事実、学校群制度を採用した都府県では、実行当時と現在を比べ、地域ごとの学校ごとの学力差は圧倒的に緩和されています。
学校群制度では、地域内のいくつかの学校(群)を受験し、合格者をランダムに振り分け、入学先とします。ゆえに、トップレベルの学力を持つ受験生でも、志望校や群のトップ校に進学できない可能性が出てきます。受験生にとっては、(どれだけ勉強を頑張っても、自分が行きたい学校に行けるかは運しだい)ということです。これにより、学校群制度にある公立高校を避け、合格が入学に直結する、私立高校や国立の高校に進学する受験生が徐々に増えました。その結果、公立高校の人気は落ち、私立高校や国立の高校の偏差値が上がるという現象が各地で見られるようになりました。
学力の平均を目指し、公立の学校として教育の機会均等を求めた結果、公立高校の凋落が目立つ結果となってしまいました。
東京都の学校群制度
東京都では1967年に学校群制度が開始され、1981年に学校群制度が廃止されました。当時の東京都教育委員長であった小尾乕雄が学校群制度を推進しました。
東京都は23区を6学区に分け、東京都の西の多摩地区をひとまとめとした7地域ごとに学校群制度を行いました。
学校群制度が始まる前の1960年代、東京都の高校NO.1は名門として長い歴史を誇る都立日比谷高校。都立日比谷高校に続き、都立西高校、都立戸山高校、都立小石川高校などが東大合格率でも上位を連ねていました。
しかし、東京都で学校群制度が開始後、上記のとおり、成績上位者の都立高校志望は急速に衰退していきます。都立日比谷高校は、東大合格率が100人を超えていた時代から鳴りを潜め、学校群制度の終了後には東大合格者数が一桁、しまいには0人になる年もありました。
「栄光の都立高校時代」は、今は見る影もありません。ちなみに現在、東京都では学校群制度は行われていません。
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