教員の新しいライフスタイルの紹介 『高校教師 住まいを捨てる』

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高校教師 住まいを捨てる

著 よしかわけいすけ 河出書房出版

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概要 

 石川県金沢市で高校教師をしながらも、長年住んでいた一人暮らしのアパートを出て、ゲストハウスを転々とするというアドレスフリーなライフスタイルを実践する著者よしかわけいすけ氏の良書。4日分の服、パソコン、スマートウォッチ、マネークリップ、パスポート、歯ブラシ爪切りリップクリームなどの日用品、必要最低限の荷物で生活するミニマリストの生活を綴った作品です。教員という仕事をしながらもミニマリストやアドレスホッパーという生活の仕方ができるということを証明したという点で、革命的な人物が書いた作品であると言える。

公立学校の教員としての批評

必要なら買えばいい

 必要になったら買えばいいという考えには、抵抗感がある。この考え方があるからこそ、ミニマリストの生活ができるのかもしれないが、そもそも物を大事に長く使うという根源があってこその考えではないだろうか。

 ものを長持ちさせるには、「休ませる期間」をつくる必要があるものがたくさんある。靴や洋服など、人によっては「消耗品」と言ってしまうようなものも、休暇期間を作ることで生きながらえるものもある。私がただの貧乏性なのかもしれないが、大量生産大量消費社会を象徴しているかのようで、教育上あまりよろしくないのではという印象を受けた。

ミニマリストゆえの授業の制限

 道具を使った授業、例えば英語の教員であれば、アルファベットのカードやトランプを使って授業を行うこともできるかもしれない。そのような点で、ミニマリストであるから授業の選択肢を減らさざるを得ないというのは、生徒がかわいそうな気もする。勉強に正解が一つではないように、指導に正解は一つではないのだから、その可能性をつぶしかねないミニマリズムの生活はいかがなものかと感じる。

 パソコンを使うことで授業の幅が広がるのは事実です。しかし、パソコンしか使えないということが、授業の幅を狭めているというのも事実です。

学校は教員の私物ではない

 本書の中で、「絵を買って学校で飾る」というようなエピソードがある。学校は教員の私物ではない。私立は関係ないのかもしれないが、勝手に絵を飾られたら学校は困らないのかと純粋に思う。
じゃあ捨てればいいじゃんという考えかもしれないが、そもそも余計なものをもってくるなと言われてもおかしくないと感じる。

英語の能力に自信がなければ、英語の教員になるべきではない

 著者自身が「自分の英語力に自信がないまま授業に臨んでいました。」「外国人の方と話す機会があっても、何を言っているのかよくわからないことがよくあった」と書いています。私の持論では、英語の能力がない人、外国人と英語で会話をしようとしても会話ができない人は、学校で教える立場にあるべきではないと考えます。なによりまず、教員の能力の無さは、子どもの不利益につながります。初任者に指導のテクニックが足りていないのは、経験の面で仕方がないかもしれませんが、英語の能力が足りていないのはそもそもの話です。じゃあ学校がそんな奴を雇う学校が悪いというのは正論かもしれません。しかし、英語に自信がなければまず、教員をやる前に十分な英語の能力の自信をつけてから出直してこいというのが私の主張です。

総括

 単に私がよしかわ氏のような生活にあこがれているだけかもしれないが、批判する感想が多くなってしまった。まあ教員だけに対してではなく、読み手にたくさんのよい刺激を与える本なので、ぜひ読んでね。

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