記事の概要 近年LGBTの課題もあり、男女という性の区別に関する認識も変化してきています。今回は、男女共学か男女別学か、男女共学校か男子校か女子校かについて、その歴史と今後について書きます。
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男女共学・男女別学の分岐点
明治5年(1872年)の「学生発布」から日本の学校制度は徐々に整えられていきます。当時の義務教育学校である「尋常小学校」は男女共学で、その後に入学試験を経て進学する高等教育学校は男女別学でした。
しかし、第二次世界大戦後、アメリカの教育使節団の調査・報告に基づいて男女共学が進められ、公立の中学校・高校のほとんどが共学校となりました。したがって、男女共学の分岐点は、現在の中学・高校が発足した昭和22年(1947年)と言えるでしょう。
今年、埼玉県を代表する公立男子高校の共学化が改めて検討されましたが、結局はあいまいな形での結論・決着となりました。戦前からの名門進学校という伝統やブランドが重視された結果かもしれません。
戦前の女子公教育
戦前の教育制度(学制)では、男女で大きな違いがありました。成績がよく、経済的に豊かな家庭の男子は、尋常小学校を卒業して、5年制の旧制中学校、旧制高等学校、(帝国)大学に進むことができました。一方で女子には、尋常小学校を卒業して、5年制の高等女学校に進む道はありましたが、旧制高等学校や(帝国)大学に入学することはでききませんでした。
高等女学校卒業後の唯一の進学先としては、女子高等師範学校が東京府と奈良県に一校ずつあっただけでしたので、「男女共学」などは夢物語ではなかったかと思われます。なお、その女子高等師範学校とは、現在のお茶の水女子大学と奈良女子大学のことです。
戦前の女子私教育
女性の高等教育を主に担ったのは、外国人によるキリスト教教育、いわゆるミッションスクールでした。そのスタートとなったのが、女子学院や雙葉や立教女学校などですが、都市部に限られた学校でした。また、日本人により跡見学校や共立女子職業学校なども設立されましたが、私塾に近いもので、職業教育に力を置くものでした。
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