記事概要 東京都の名門公立中学校と言われる「千代田区立麹町中学校」「文京区立第六中学校」「江戸川区立清新第一中学校」が、なぜ公立中学校御三家と呼ばれるのかを説明していきます。
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東京都の公立中学校の御三家の考察
千代田区立麹町中学校の場合
千代田区立麹町中学校は、徳川御三家のうちの紀伊家上屋敷(前赤坂プリンスホテル)跡に面して創立しました。隣接する番町と同じく、江戸時代は武家地でした。明治になると、大名や武家に代わり、宮家や華族、高級官僚などの居住地となります。
千代田区麹町や隣接する番町の地域は、江戸時代は武家屋敷として名を連ねました。さらに明治期に入ると武家から宮家や華族、官僚などの住居となります。つまり、上流階級の家庭が多く住んでいたという歴史が、今の千代田区の地元民の学力を高くしました。経済力(面)でも、勉学に励むことができる環境にいた子どもが千代田区に多くいた結果、麹町中が名門校として名を挙げるようになったという地域の歴史になっています。歴史の長い私立中学、高等学校・私立大学が千代田区内に多数存在することも、千代田区の学力が高い理由の一つです。
加えて、麹町の地域には明治・大正時代に文化人が多く住んでいたという記録があります。具体的には、永井荷風、与謝野晶子・鉄幹夫妻、武者小路実篤、島崎藤村、菊池寛など、名前を挙げればきりがありません。歴史や文学史に名を連ねるような文化人が数多く存在したというのも、麹町という地域が学問に熱のある地域になった理由の一つでしょう。
さらに、公立学校を経由しての東京大学への流れとして、番町小→麹町中→日比谷高→東大という流れが、昔からあります。昔からの伝統として、東大へのエリートコースがあったのも、麹町中が御三家たるゆえんでもあります。
もしかしたら、日本の政治の中枢である永田町に近い中学校であるというのも、麹町中が名門と称される理由の一つとして挙げられるかもしれません。
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文京区立第六中学校の場合
文京区立第六中学校の最寄り駅が東京メトロ南北線の東大前駅ということからも明らかなように、東京大学の目と鼻の先に位置しています。立地の良さからも東京大学と連携し、「六中応援塾」という、現役東大生に勉強を教えてもらえるというプロジェクトのある、スーパーサポートを兼ね備えた学校です。
東大が「区内の大学」ということから、東大への親近感が強く、地元の文京区から東大への進学熱も高いです。また、高等師範学校(旧東京教育大学、現筑波大学)や女子師範学校(現お茶の水女子大学)が区内の学校だったことからも、教育熱の高い地域であるという歴史が文京区にはあります。
麹町中と同様に文京六中にも、公立学校からの東京大学進学の流れとして、誠之小→文京六中→小石川高→東大という流れがあります(しかし現在、小石川高校は「小石川中等教育学校」という中高一貫校となり、高校からの入学はできなくなっています)。
麹町中と同様に、地域の歴史と立地が、文京六中を名門たらしめています。
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江戸川区立清新第一中学校の場合
江戸川区立清新第一中学校は、江戸川区の臨海部に新設された中学校で、比較的歴史の浅い公立中学校です。戦後の1947年に、新制中学校として一斉に開校した麹町中や文京六中とは異なり、清新一中の開校は1983年です。最寄り駅からも割と遠く、東西線の西葛西駅から徒歩15分と、アクセスがいいとは決して言い切れません。
そんな新設校の清新一中が現在、東京都の公立中学校の御三家に名を連ねる大きな理由が、清新一中の近くに、中央官庁の官舎があるからです。清新一中が公立学校御三家と呼ばれる理由は単純で、この中央官庁の官舎に住む親の子どもの学力が高いからです。
ある意味、新設校の清新一中が公立中学校の御三家に入っているということは、「地域住民の学力が高ければ、地域の学校のレベルが上がる」という私Garudaの仮説の証明になっています。
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総括
東京都の公立学校御三家と呼ばれる学校には主に、「歴史」と「地域住民の学力の高さ」が関係しているということです。
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コメント
学区域に、中央官庁の官舎があるのは隣の清新第二中学校ですよ。
ご指摘ありがとうございます。
訂正します。
ですが、清新第一中学校の評判がいいことに間違いはないです。