記事概要 今回は、「大学」といっても、戦前から存在する「旧制大学」の偏在について書きます。
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大学の南高北低
北陸を旅して、「加賀百万石」と言われた石川県金沢市を訪れた時のことです。水戸の偕楽園、岡山の後楽園と併せて、日本三名園と言われる金沢の兼六園の向かいに、金沢大学の正門とされていた石川門があります。由来を読み、「門からして立派な大学だったんだなあ」と感心する私の声に、「金沢には大学がなかったんです」と反応する老婦人がいました。不思議に思って理由を尋ねると、「金沢大学は、元々は大学ではありません。戦前までは第四高等学校でした。そもそも日本海側には大学が設置されなかったんです」と説明してくれました。
老婦人が伝えたかったのは、第二次世界大戦までの大学とは、北海道大学から九州大学までの「7帝大」のみで、日本海側には帝国大学は無く、また、金沢大学は戦前には旧制高等学校(高校)で、戦後に大学に昇格したということでした。
さて、明治になって設立された3年制の帝国大学(旧制大学)は、1886年創設の東京帝国大学を始めとして、順に京都帝国大学、東北帝国大学、九州帝国大学、北海道帝国大学、大阪帝国大学、そして、1937年に誕生した名古屋帝国大学の7校(七帝大)のみです。したがって、本州の日本海側には確かに1校もありません。
また、高等教育の範囲を、帝国大学への入学に直結する3年制の旧制高校に拡大してみますと、全国には最終的に48校の高校がありました。現在の全国の高校が約4000校であることから考えると、いかに少なかったかがよく分かるでしょう。
しかし日本海側には、戦後に金沢大学となる第四高等学校、新潟高等学校(現在の新潟大学)、山形高等学校(現在の山形大学)、松江高等学校(現在の島根大学)の4校しか、また、佐賀高等学校(現在の佐賀大学)と弘前高等学校(現在の弘前大学)にまで範囲を広げても、6校しか高等学校はありませんでした。
気象用語に、冬型の気圧配置を表す「西高東低」という語がありますが、戦前の大学・高等学校の配置には、「南高北低」といえるような偏在があったと言えるのではないでしょうか。
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