記事概要 新型コロナウイルスの感染拡大以後、学校を欠席することへの意識が変わり、学校に来ない児童・生徒が増えました。今回は、コロナによる行動制限が緩和された今、出席停止の児童・生徒が増え、皆勤賞の価値が下がることについて考えていきます。
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そもそも欠席や遅刻が多い児童生徒
健康に勝るものはありません。ひいき目に見ずとも、皆勤賞は素晴らしい功績の一つだと思います。「一年間一日も休まず登校する」を当たり前にできるというのは素晴らしいことです。
しかし、だれしもが「毎日時間どおりに学校に来る」ことができるわけではありません。様々な理由でたびたび欠席する児童生徒がいれば、遅刻が続く児童生徒もいるでしょう。
中学校の3年間で無遅刻無欠席の皆勤賞だった生徒は、100人に1人くらいでしょう。
出席停止に限った話ではないのですが、頻繁に遅刻や欠席する児童生徒に対して、多くの教員は「だらしない生徒」「虚弱体質な生徒」と認識しがちです。「そんな認識をするな」という意見は正論ですが、「遅刻欠席が多い生徒には、だらしない生徒が多い」という言説は、かなり的を射た言説です。しかし、長期で欠席する生徒には、多種多様な欠席理由があり、仕方がない理由による欠席も多いです。
そして昨今、新型コロナウイルスの感染拡大により、「欠席」ではなく、「出席停止」の生徒が著しく増えました。教員側からすると、「おそらくこの生徒はただの不登校」「風邪が一週間以上続くのなら、何かしら行動を起こすべき」というような、元来は出席停止に該当しなかったものの、出席停止により長期で登校しない生徒が増えてきています。
正直者が馬鹿をみる皆勤賞
「体調不良」とさえ言えば、何があろうと「出席停止」になります。「欠席」にはなりません。新型コロナウイルス感染の疑いでの「体調不良」による「欠席」を、「欠席としない」ことが多くなりました。これは、台風などで保護者が危険と判断し、児童・生徒を「遅刻」「欠席」させた場合に、「遅刻」や「欠席」にしない措置に準ずるものです。
こんなのずるいと思うかもしれません。しかし、教員も通常どおり学校に来ている生徒も、「本当に体調不良なのか」「実際にはコロナに対する不安がないのではないか」ということは確認できませんし、本来的にはしてはいけません。
もちろん、猛威を振るった新型コロナウイルス感染を恐れ、それを発端に学校に来ることができなくなった、果ては自分の部屋から出てこられなくなった人が、子どもだけでなく大人にもいることは事実です。これらは本人の問題ですし、はっきり言って、多くの場合教員がうんぬんできる話ではありません。しかし、完全に引きこもってしまうよりは、なにがしかの理由をつけて学校に通えるようにするほうが、何かにかけて良い結果につながるのではないでしょうか。
「感染症を患った」や「葬式がある」という理由で学校に来ないというのは、私Garudaは納得できます。しかし、「頭が痛い気がする」や「大事をとってとりあえず一週間休む」ということが頻繁に起こる生徒が、無遅刻無欠席であるがために結果として「皆勤賞」を受賞することになるのは、個人的には納得がいきません。
皆勤賞の価値は下がる
私自身、どんな世界でも健康は大事なことだと思っています。「健康である」ということは評価されていいポイントだと認識していますし、誇るべき点でもあると思っています。ゆえに、「学校生活の中で無遅刻無欠席だった」というのは、本当に素晴らしいことだと思っています。私は「皆勤賞」は一種の称号のようなものと認識しています。しかし、このままの認識で出席停止の人が増えると、そもそもの「無遅刻無欠席」の価値が下がるでしょう。「学校生活の中で無遅刻無欠席でした」という生徒と「学校生活の中で数日しか学校に通いませんでした。でも全て出席停止だったので無遅刻無欠席でした」という生徒を同じように扱うのは、平等ではないと思います。これでは、正直者が馬鹿を見る世界になるのではないでしょうか。いかなるときでも学校は、「努力している生徒が報われない場を作ってはいけない」のではないでしょうか。
これからは「無遅刻無欠席」の価値が下がる可能性があります。
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