記事概要 立場や時代にかかわらず、公立私立を問わず、学校の教員が思っているけど言えないことについて説明します。これらは、公言すると、PTA、人権団体、新聞等のマスコミ、評論家、教育学者などその他もろもろが黙っていないので、現役の教員は絶対に主張しない(できない)ことです。ですので、以下のことは保護者が絶対に肯定しないことだと思ってください。
勉強は才能
誰が何と言おうと、勉強は才能です。子どもに勉強への資質があれば、学力は必ず伸びます。『赤ちゃんはみな天才』という怪しげな本がありますが、「勉強すれば成績が上がる」は、半分本当で半分嘘です。勉強して学力が上がるのは、勉強の才能がある人だけです。勉強の才能のない人が学校でいかに努力しようとも、学力は伸びません。塾に行っても、なんら効果はないはずです。
子供の成績が上がらないとき、成績が上がらないのは教員のせいだと主張する保護者がいます。教員の怠惰により、生徒の学力が上がらないということもあるかもしれません。しかし、学力が上がらない要因は、99%子ども本人にあります。そもそも、勉強は自分でするものです。学校では、教員が生徒に教員の専門とする科目を指導するという体制をとっています。しかし、勉強ができる生徒は、教員に頼らず一人で勉強できるはずです。要するに、子どもの学力を教員のせいにしている時点で、自分の子どもに勉強の才能がないことを表しているといえます。
有能な教員の指導により成績を上げることができるのは、ただ暗記するだけではなく、教員の話を聞いて、その内容を正しく「理解」できる日本語の能力を有している生徒だけです。学力の伸びないことを教員のせいにする保護者の子どもは、大体の場合、最低限の地頭をもっていません。勉強は才能の一つです。
逆に、ダメ教員の指導の下でも、賢い生徒の学力は勝手に上がっていきます。所詮、学校で習う内容なんて、独学でなんとでもなるのです。つまるところ、学力が伸びるか否かは、子どもの才能次第です。勉強は自分でするものです。
勉強の成果の計算式
私Garudaの自論では、学校での勉強の成果は、『生徒の勉強の才能×教員の指導力』です。才能と指導力のそれぞれは、才能がゼロ段階から10段階で指導力が1段階から5段階。生徒の才能が5、教員の指導力が3の場合、学習成果は15になります。勉強の成果は最大で10×5で、最大限50になります。しかし生徒の勉強の才能が0の場合、教員が誰であれ、勉強の成果は出ません。
余談 「やったらできる=やってもできない」というブラックジョーク
保護者との面談などで、「うちの子はやればできる」と保護者が主張する子どもほど、いくらやってもやらせても、勉強ができるようにはならないことを表す表現です。勉強ができる子どもは、やるとかやらないとか関係なく勉強ができます。「やればできる」というような表現を使っている時点で、勉強に対する子どもの才能の無さを自白したようなものです。
様々な「才能」に気がつきはじめた子どもたちが、「親ガチャ」という言葉を使い始めるのも、仕方がないことなのかもしれません。
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