記事概要 時代の潮流に沿って、学校、先生、生徒との関係性は変わってきています。本記事では、かつての中学校・高校の先生と生徒の関係性がどのように変わっていったかを歴史的な観点で解説していきます。
「体罰は厳禁」の歴史的な流れ
教員による「体罰」が法律で禁じられていることを知らない人はまずいないでしょう。けれど、その法律名を答えられる人はどれほどいるでしょうか。「学校教育法」と即座に答えた方は、日本の教育にかなり通じた方でしょうが、体罰を禁止する法令の誕生は、実は学校制度が生まれた明治にまでさかのぼります。
そもそも「体罰」がクローズアップされ、『「体罰」は厳禁』と叫ばれるようになったのはいつからでしょうか。宿題忘れを始めとして、何らかの失敗や悪さをした児童・生徒に、げんこつをしたり尻を叩いたりしても、昔は誰も何も言いませんでしたが、今では不適切な指導、「体罰」ということで懲戒の対象となります。仮に本人やその保護者が納得していたとしても、「体罰があった」という一報があれば、教育委員会は調査・報告を求め、厳密な聴取を経て処分を下します。学校では緊急保護者会を開くこともあり、教師を守るためにも、毎年度初めに校長は、「体罰厳禁」を念押しします。
「体罰」は「指導」とされる時代
現代人に「体罰は是か非か」と問われれば、多くは「非」と答えるでしょう。けれど、保護者や祖父母が子や孫の頭や尻を叩いていた時代では、教員によるげんこつや尻叩きや正座をさせることは、教育的指導、または、躾の一環と認識され、いわば許容の範囲でした。警察官や教員への尊敬や信頼が厚かったという背景もあったのでしょう。今では聞かれなくなりましたが、「先生(お巡りさん)に言うぞ」は、子どもたちが犯そうとする悪事への警鐘ともいうべきセリフでした。
教員のみならず、教育的指導のために大人が子供に手をあげることは、昔では取り立てて気にすることのない、普通のことでした。その中でも、教員による体罰は、「模範的な教育的指導」と容認されるものでした。これは、体罰をしようとも教員に対して「体罰をしてまでも、指導をしてくれている」という信頼と信用があったからです。
悪いことをしたら叩かれたりするのは当たり前で、やや理不尽であっても、子どもたちは大人からの「体罰」を受け入れ、恨みに思ったり人間関係が悪くなったりすることはほとんどありませんでした。この暴力的な指導があるために、親と子供そして先生と生徒の関係は、覆ることのない絶対的な関係性となって存在していました。
師と弟……昔の教師と児童・生徒の関係
大学進学率が今ほど高くなかった時代、大学で教職を学び、教員免許を有する先生は、威厳があり、一目置かれる存在でした。「教育は人格の完成をめざし……」と法律に定められているからではありませんが、教師は児童・生徒を正しく育てるという思いで、げんこつしたり、尻を叩いたり、正座させたり、出席簿で頭を叩いたりしていました。そして、それが「体罰」であるという意識などなく、先生は指導する立場で、生徒は指導される立場という考えに疑いはありませんでした。
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