練馬区の教育事情……学びのまち ねりま

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 第2次世界大戦後の昭和22年4月、東京都に特別区制が導入され、千代田区を始めとする「22区」が誕生しました。けれど、板橋区から分離して練馬区が同年8月に新設されたことで、特別区は最終的に23区となりました。特別区の末っ子的な存在である練馬区は、畑の面積が23区最大で、大規模な公園も多く、緑の多い閑静な住宅街が形成されています。近年、東京メトロ副都心線や都営大江戸線の開通にともない、高層集合住宅が次々と建設され、総面積が23区中5位であるものの、総人口は70万人を超え、世田谷区に次いで23区で2位となっています。

 さて、練馬区の区立中学校は、区の誕生の経緯から、昭和22年4月に「板橋区立中」として12校がスタートし、8月には練馬区立中に改名され、昭和30年代末までにその数が急増しました。戦前に建設された成増飛行場が連合軍に接収され、アメリカ軍の家族宿舎「グランドハイツ」となりましたが、昭和45年に全面返還され、その地に新設校の最後となる光が丘を冠する中学校が建設されました。

 その後、光が丘第四中が光が丘第三中に統合されたことで、総数が33校となりましたが、これは第1位の足立区に次ぐものです。中でも平成23年に誕生した大泉桜学園は、練馬区初の小中一貫教育校で、義務教育の9年間を3期に分け、小学5年生から中学1年生に相当する第Ⅱ期では、授業の一部に教科担任制が導入され、また、中学の部活動に参加することもできます。

 練馬区でも、平成17年から学校選択制が導入され、学校ごとに10名から40名の受け入れ可能人数が設定されています。令和3年度の新入生に関しては、12中学が抽選校となり、開進第二中・光が丘第一中・光が丘第二中・石神井中・大泉中の5校は、3年連続の抽選校でした。おもしろいことに、前述した12校中の7校、5校中の3校は新制中学第一期生、つまり、昭和22年に誕生した学校です。練馬区民には、そのような伝統校を尊重する気質があるのかもしれません。

 なお、区名を出すのは失礼ながら、板橋区に比して、練馬区の小・中学生の学力は、東京都の平均を超えた水準にあります。

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