記事概要 立場や時代にかかわらず、公立私立を問わず、学校の教員が思っているけど言えないことについて説明します。今回は、なぜ就学時健康診断(就学前健診)を行うのか、教員が就学時健康診断について思っていることを述べます。要するに、親のエゴにより、障害をもつ子どもが通常学級に通うことで、障害をもつ子ども自身が苦労しているという現実を解説します。これらは、公言すると、PTA、人権団体、新聞等のマスコミ、評論家、教育学者などその他もろもろが黙っていないので、現役の教員は絶対に主張しない(できない)ことです。
障害のある児童・生徒が通常学級へ進学すべきか否かの基準(前回記事)はこちら
就学時健康診断とは
就学時健康診断とは、義務教育が始まる小学校入学前の子どもを対象とした健康診断です。法律上では、市町村の教育委員会は、前条の健康診断の結果に基づき、治療を勧告し、保健上必要な助言を行い、及び学校教育法第十七条第一項に規定する義務の猶予若しくは免除又は特別支援学校への就学に関し指導を行う等適切な措置をとらなければならない。
参考
とあります。健康上の問題点などを確認することも大事ですが、一番の目的は「子どもが通常学級に適するか特別支援学級に適するかの判断」です。
就学時健康診断後の就学面接(就学支援会議or就学相談)
健康診断の結果から、治療の勧告や、保健上必要な助言、特別支援学級への就学案内がある場合、該当する保護者には就学面接(就学支援会議or就学相談)の連絡が来ることがあります。連絡が来たからといって、就学面接を受ける義務はありませんが、就学面接に行くべきです。就学面接は「子どものため」の面接です。就学時健康診断の結果を見た教育の専門家たちが、「現状での、障害をもつ子どもにとって最善の選択」を紹介してくれます。この就学面接で、「通級学級」「特別支援学級」「特別支援学校」への進学を勧められる場合があります。
強制はできないジレンマ
「お子さんは特別支援学級などに就学させてはどうか」と就学面接で言われる場合がありますが、「特別支援学級に就学しろ」というような強制をされることはありません。仮に強制されるようなことがあれば、人権団体や障害者支援団体が黙っていないでしょう。本来であれば、区市町村教育委員会が就学先を決定しますが、現状では、就学先の決定は障害をもつ子どもの保護者の判断に任されます。
しかし、この就学面接で「通級学級」「特別支援学級」「特別支援学校」等への就学を勧められた場合、その指示に従うべきです。就学時健康診断は、健康診断とはいうものの、「就学先の判断」を行うためにやっているようなものです。この指示に従わないのなら、就学時健康診断を行う必要はないわけです。障害をもつ子どもの将来のために、専門家が総合的に見て、正確な判断を行っています。公平な目で見て、子どもの将来を思って「通常学級以外を選択するべき」という指示が出たのなら、それに従わないという「あほな選択」はありえないはずです。
親のエゴではなく、子どものための選択
「子どものことは親が一番知っている」と言う人がいるかもしれませんが、それは「親の目に入る範囲の子ども」の話です。子どもが学校で勉強する姿を、親はほとんど知らないでしょう。義務教育が始まり、子どもは学校に通うことになります。その進学先を、専門家が「特別支援学校に就学したほうがいい」と判断した場合、その意見が妥当なのではないでしょうか。
「誰が何と言おうと通常学級に通わせたい」なんてのは、正に親のエゴです。そもそも日本の通常学級なんて、それほどいいものでもありません。「特別支援学級に通わせるのは、子供がかわいそう」なんてのは、偏見であり、親がそんな考えをもっているほうが、子どもにとっては可哀想です。まさに「親ガチャ失敗」というようなことでしょう。しかしながら、このような誤った思想を持っている親が、数多く日本にいることも事実です。
結局は親
特別支援学級への就学を勧められた子どもを、保護者の判断や意向で通常学級に就学させたとしましょう。そうなれば、期限のある書類の提出、対人関係、勉強など様々な課題に向き合わなければならなくなります。小学2年生でかけ算九九を習得できなければ、いくら学年が上がろうとも算数の授業でつまずくことになるのは目に見えています。毎年クラス替えがあろうとも、対人関係で苦労することは何度もあります。あってはならないことですが、障害があるがゆえに、いじめられる可能性も十分にあるでしょう。「障害」というものが治るものであればいいでしょうが、そんな簡単に障害が治れば、だれも障害を問題視しないでしょう。
「障害」を持って生きていかなければならないのは「本人」です。障害を持っているのは親ではありません。
親が無理やり障害者を通常学級に入れることが、障害者自身を苦しめることもあります。
子どもが障害をもっていようといなかろうと、結局は「親」です。子どもを生かすか殺すか、「親」がすべてです。
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