記事概要 今日の学校において、不登校になる子どもが増えています。しかし、「不登校」自体をネガティブに考えることは間違っていますし、不登校の子どもを無理やり学校に通わせるのも間違っています。「不登校」という言葉に、これからの時代にふさわしいポジティブなイメージをつけていきます。
義務教育の「義務」とは
小学校、中学校の社会科や公民の授業で学んだはずの「国民の三大義務」。日本の法律の中では、小学校と中学校は義務教育の範疇であり、日本で生まれ育った人間は皆、これらを卒業しているはずです。
学校で習ったはずのこれらの義務を、社会人のどれほどが覚えているでしょうか。「国民の三大義務」とは、日本国憲法に定められている、「教育の義務(第26条2項)」「勤労の義務(第27条1項)」「納税の義務(第30条)」のことです。ここで認識したいのは、「教育の義務」は「誰にとっての『義務』か」ということです。
日本国憲法の条文には、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」という文言があります。つまり、「義務教育」の「義務」とは、児童や生徒が教育を受けなければならないというだけのことです。この文言には、「学校に通い、学校で勉強しなければならない」という意味は一切入っていません。昨今の日本において、学校に通っていない6~15歳の子供はほとんどいませんが、だからと言って学校に通わなければいけないなんてことは全くありません。日本人は多数派を正当化して少数派を否定する傾向がありますが、勉強さえしていれば学校なんて行く必要はないのです。
「教育の義務」とは、子女を保護する立場にある国民、つまり、保護者に対しての、「子女(子ども)を通学させる義務」だということです。きちんとした教育さえ施してさえいれば、学校など必要ないのです。
現代の文部科学省は、児童・生徒の不登校の著しい増加や長期化が問題とみなしています。しかし、学校に通うことは「児童・生徒の義務」ではないということです。むしろ「不登校が問題」だと思っていること自体が問題な訳です。まともに日本国憲法の内容さえ理解していない文科省の白痴官僚どもの主張など、聞く価値もないということです。
不登校にある児童・生徒の状況の改善や解消にはつながらないかもしれませんが、「学校に行かなければいけない・学校に行かないと不良になってしまう」というような固定観念を打破しましょう。不登校にある児童・生徒への強制ともいえる考えをもつ多くの人のマインドチェンジは、今日の日本の社会には必要です。
今後の記事では、これからの「不登校」ということのとらえ方について書いていきます。この続きはこちら
コメント