(東京都立)高校入試の変遷2 学校群制度・グループ合同選抜 【日本の教育史】

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記事の概要 今回は、東京都立普通科高校の長期低迷をもたらすきっかけとなった、学校群制度とその後の制度改革について書きます。
前回記事(高校入試の変遷1 アチーブメントテスト・学区合同選抜)はこちら

(東京都立)高校入試の変遷1 アチーブメントテスト・学区合同選抜【日本の教育史】
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学校郡制度時代

 

学校群制度とは

 学校群制度とは、2~3校の普通科高校を組み合わせて「群(グループ)」とし、群を単位として入学試験を行うという制度です。受験生は希望する高校が属する群に出願しますが、合格者は群内の高校にランダムに振り分けられますので、希望する高校に入学できるとは限りませんでした。つまり、受験者の中で一番の成績を残そうとも、希望する高校に入学できない可能性があるわけです。

 学校群制度の発祥地は京都府で、激化した高校受験競争の緩和と高校の偏差値の平均化を図ることを目的としていました。東京都では、1967年から普通科高校の入学検査に導入され、各学区内の普通科高校を群として編成しました。例えば第1学区では、日比谷高校・九段高校・三田高校で編成する群を、第11群としました。

学校群制度による影響

 学校群は、旧男子高校と旧女子高校の組み合わせ、そして、合格水準がほぼ同じことを原則として編成されました。つまり、近隣の学校として、日比谷高校・九段高校・三田高校の三校は、学力レベルの近い学校のグループであるということです。

 学力レベルが近いとは言っても、比較してみれば日比谷高校の偏差値が高く、九段・三田高校が若干、偏差値の点で劣ってしまうのは明らかでした。日比谷高校を希望する生徒は、11群に合格しても、九段高校や三田高校に振り分けられることもありました。したがって、志望校に入学できないという理由で入学を辞退するというケースがありました。
 学区の仕組みについてはこちら

日本で初めての「学校」の誕生過程 【日本の教育史】
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 学校群制度下では、第一志望に合格できなかった生徒への、第二希望に合格等の救済措置は無かったので、不合格者の多くは私立高校に進学しました。なお、検査教科は9教科から国語・数学・英語の3教科となりました。3教科受験となった理由としては、私立高校入試の3教科に合わせた可能性があります。

グループ合同選抜時代

グループ合同選抜とは

 グループ合同選抜は1982年から始まった入試方法です。この制度は、1952年から始まった「学区合同選抜」を一部変更した選抜方法です。

 まず、グループ合同選抜が実施されるに際し、東京都ではこれまで7つの学区がありましたが、第7学区(多摩地区)が第7・第8・第9・第10学区に分割され、新たに10学区制となりました。そのうえで、各学区を2グループに分けました。都立高校普通科を希望する生徒は、2グループに分けられた学区の中から1つのグループを選択します。受験生は、自分の居住する学区のグルーブから、希望する1校を受検できるようになりました。

 なお、グループ合同選抜時代から、検査教科は、国語・数学・英語・社会・理科の5教科となりました。

グループ合同選抜による影響

 グループ合同選抜は、学校群制度で難関大学への合格者数を大きく減らし、不人気に歯止めのかからぬ都立普通科高校の復活を目標にしていました。グループ合同選抜は、学校群制度下の受験生が不満を持った「合格しても志望校に入学できない」、という点を改善しました。

 例えば、第六学区であれば両国高校・墨田川高校を含む61グループと、小松川高校・城東高校を含む62グループとに分けられました。つまり、グループ内の学校にピンポイントで志願して、合格すれば確実に志願した学校に入学できるということです。

 また、学区合同選抜時代と同じく、第一志望に不合格であっても、グループの合格最低点に達していれば、定員に空きのある都立普通高校に入学できるようにもなりました。けれど、学校群制度時代の15年間に躍進した国立高校・私立高校の勢いは増し、都立高校の進学実績は大きくは回復しませんでした。
続き(「坊っちゃん」の推定年齢)はこちら

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