古い話になりますが、第二次世界大戦前(戦前)は、「中学」といえば、義務教育を終えた12歳以上の男子が、入学試験を経て進学する5年生の中学校(いわゆる『旧制中学校』、東京府であれば府立第一中学校が現在の都立日比谷高校)のことでした。ちなみに女子には、高等女学校(東京府であれば府立第一高等女学校が現在の都立白鷗高校)がありました。義務教育ではなく、授業料等の納入もあることから、成績が優秀なだけでなく、家庭に経済的な余裕なくして通学は難しく、進学率は最大で8%程度だったといわれています。
戦後、アメリカ教育使節団による報告に基づき、現行の「6・3・3・4年制」が導入され、昭和22年に修学年限が3年の「新制中学」、つまり現行の中学校が全国で一斉に誕生しました。文京区でも第一中から第九中まで9校のナンバースクールが新設されましたが、区内には他に、(東京)高等師範学校(通称「高師」、後の東京教育大学)の附属、(東京)女子高等師範学校(通称「女高師」、後のお茶の水女子大学)の附属、東京第一師範学校(通称「師範学校」、後の東京学芸大学)の附属3校が、国立の新制中学校に衣替えして発足しました。さらには、戦前からの旧制私立中学の流れをくむ私立中学校が幾つも誕生しました。
したがって、昭和22年をもって中学卒業までの9年間が全国一律で義務教育化されましたが、文京区民やその子女である小学6年生には、「6・3・3・4年制」導入当初から中学進学に関し、さまざまな選択肢がありました。古くからの住民の意識には、歴史の浅い区立中に行かなくとも、高師の附属がある、女高師がある、師範があるという思いが、また、私立中学にも愛着や親近感があります。
さらには、「私も夫も私立学校の卒業生で、息子が初めての公立中学入学生ですが、大丈夫でしょうか」と漠然とした不安を訴える保護者(多くは文京区に転入した「新住人」と呼ばれる方々)もいるなど、戦後70年を経ても、公立中学への期待値が高くはない(?)という、残念な実態があります。
区内には、統廃合を経て10校の公立中学があり、学校選択制が行われています。保護者や児童の私立中学志向が高く、また、児童数に対する学校数がやや多いことから、新学年が単学級となる、つまり、統廃合が懸念される中学が常に存在します。過去の統廃合の過程で、地域住民の逆鱗に触れた経験から、区(教委)は現状維持を第一とする(している)という噂もありますが、学校選択制の廃止以外には、単学級を回避する特効薬は無いかもしれません。
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