時代と共に変化したいじめと犯罪の認識 ジャイアンは極悪人に 【教員が思っている公には言えないこと】

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 記事概要 立場や時代にかかわらず、公立私立を問わず、学校の教員が思っているけど言えないことについて説明します。今回は、いじめは犯罪ということを説明していきます。これらは、公言すると、PTA、人権団体、新聞等のマスコミ、評論家、教育学者などその他もろもろが黙っていないので、現役の教員は絶対に主張しない(できない)ことです。  
教員のいじめに対する認識といじめ対応マニュアル (前回記事)はこちら

教員のいじめに対する認識と教員用いじめ対応マニュアル 【教員が思っている公には言えないこと】
記事概要 立場や時代にかかわらず、公立私立を問わず、学校の教員が思っているけど言えないことについて説明します。今回は、教員のいじめへの認識と、実際にいじめが発生したときに学校はどう対応しているのかを解説していきます。これらは、公言すると、P...
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「いじめ」の扱われ方

 「いじめ」という言葉は昔からありますが、その主な使われ方は「いじめっ子」でした。具体的には、ジャイアンのように、同年齢の子どもと比較して体が大きく、言動が乱暴で、あまり近づきたくない人物です。けれど、ジャイアンで明らかなように、時に応じて正義のために行動し、また、母親からの叱責には素直に従うなど、憎めない人柄です。『ドラえもん』には欠かせない登場人物です。したがって、「いじめ」や「いじめっ子」は、社会で容認される存在でした。

社会問題化した「いじめ」

 「いじめ」が社会問題化されたのは、1993年に山形県新庄市で発生した『男子中学生マット死亡事件』が始めでしょうか。「死亡」ではなく、「殺人」が適切かもしれませんが。

 体育の授業用マットでぐるぐる巻き(簀巻き)にされ、逆さにされた中学1年男子の遺体が体育倉庫で発見されました。死因は窒息。加害者は中1、中2の男子7名。マスコミ各社の報道では、「いじめ」と表現されていましたが、人ひとりが亡くなった事件を、「いじめ」で済ませてよいでしょうか。未成年、しかも、中学校、つまり、義務教育期間の事件だから「いじめ」なのでしょうか。それは誤りです。理由や経過はどうであれ、明らかに殺人事件です。

境界線のなくなった「いじめ」と「犯罪」

 世の中には、学校・学級で、また、児童生徒間で生じた問題を、「いじめ」の一言で片づけてしまう傾向がありますが、これは誤りです。悪弊です。冷静に考えれば、「いじめ」とされる行為には、明らかな「犯罪」が潜んでいます。例えば、万引きの強要や金品の要求は「恐喝」ですし、暴力で怪我を負わせれば「傷害」です。そして、死に至る行為であれば、それは「殺人」です。

 「いじめ」が原因の自殺には、1979年に埼玉県上福岡市(現ふじみ野市)で発生した事件があります。そして、2011年に滋賀県大津市で発生した中2の男子の自殺を契機に、「いじめ防止対策推進法」が成立し、施工されました。しかし、昨年には、北海道旭川市の女子中学生が川で凍死しています。これらは、「いじめ」が原因の自殺ではなく、言葉を始めとするさまざまな暴力による自殺です。

 「いじめ」は犯罪に等しいことを、「いじめ」をしたことで加害者や犯罪者になることを、大人も子どもも肝に銘じ、声を大にして訴える必要があります。
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いじめに起因する「教員・学校いじめ」 【教員が思っている公には言えないこと】
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