進学実績で明暗を分け始める共学私立学校 【日本の教育史】

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記事の概要 近年LGBTの課題もあり、男女という性の区別に関する認識も変化してきています。男女共学か男女別学か、男女共学校か男子校か女子校かについて、その歴史と今後について書きます。

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東大(東京大学)・京大(京都大学)一直線

 例年のことですが、年が変わると著名な大学の高校別合格者数が注目され、東京大学・京都大学の合格発表となると、合格者数の高校ランキングやその変遷ばかりでなく、以前は合格者氏名や出身高校名が週刊誌に掲載されもしました。

 さて、第二次世界大戦前には、東京帝国大学・京都帝国大学を始めとして、全国に7校の帝国大学(国立大学)がありました。帝国大学には旧制高校の卒業生が進学しましたが、旧制高校の卒業生数と帝国大学の入学定員がほぼ同じだったので、東京帝大や京都帝大などの人気校を志願しなければ、無試験で入学できたといわれます。その当時は、帝国大学への合格や進学には社会的な関心が低かったのか、合格者数などは庶民の間で大きな話題にはなりませんでした。

 しかし、第二次世界大戦後に「6・3・3・4制」が導入され、国内経済が安定してくると、新制の高校への進学率が高まります。高校が手に届く存在となれば、次の目標は大学進学です。どの高校からどの大学に何人合格し、進学するかに関心が集まります。東京大学では、東京府立第一中学校だった都立日比谷高校を筆頭に、府立中学から衣替えした都立高校勢が合格者ランキングの上位を占めました。

 国立・私立の著名大学へ合格実績が全国的に注目される中で、私立高校はどのような状況にあったでしょうか。地方の私立高校は公立高校を補う存在で、入学者が募集定員を下回ることもあり、共学校ではないと経営が苦しい学校がありました。

 東京都では、都立高校の新設が影響し、歴史ある私立高校でも地盤沈下が、つまり、合格点の低下が生じました。歴史ある男子校の麻布高校や開成高校を除くほとんどは、都立高校の「滑り止め校」でした。女子高では、キリスト教系や「お嬢様学校」と呼ばれた高校以外は、男子校と同じく「滑り止め校」でした。

  また、進学実績の目立つ高校が無かったからか、共学校は数の少ない目立たない存在でした。

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