記事概要 立場や時代にかかわらず、また、公立私立を問わず、教員が思っていても口に出せないことを紹介します。今回は、「交流および共同学習」についての解説です。以下の記事は、公言すると、PTA、人権団体、新聞等のマスコミ、評論家、教育学者などが黙っていない話なので、現役の教員は絶対に主張しない(できない)ことです。
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インクルーシブ(inclusive)教育
英語に代表される横文字に弱い日本人。たとえ和製英語であっても、カタカナ語で攻撃されると、つい白旗を上げたくなります。特別支援学級設置校に勤務すると、障害をもつ児童生徒の保護者から、「先生はインクルーシブ教育をどうお考えですか」と突然尋ねられ、どう答えようかと四苦八苦しているうちに、「勉強不足ですか」とダメ押しされることがあります。
Inclusiveとは、「~を含む」という意味のincludeの形容詞形です。つまりインクルーシブ教育とは、障害のある児童生徒と、そうでない児童生徒が共に学ぶことで、「交流及び共同学習」と訳されます。「インクルーシブ」などと偉そうに英語で言う必要は全くありません。
交流及び共同学習の実際
特別支援学級に在籍する児童生徒の多くには、同学年に「交流学級」があり、ともに学習したり活動したりすることは既に紹介しました。小学低学年では可能であった「交流学級」での教科の学習が、学年が上がるにつれて難しくなり、中学校段階ではほほ不可能と思われても、特定の保護者からは希望が次々と出され、その希望を受け入れざるを得ない現実があります。
「小学校では体育は一緒にできたから大丈夫」と保護者は安直に言いますが、陸上競技でも球技でも通常学級の生徒とは大きな差がありがちです。また、英語や数学などはほとんど理解できなくても、本人の希望ではなくても、生徒は交流学級で50分を過ごします。一人静かに授業を受けられる児童生徒はまだしも、予測のつかない行動をしがちな児童生徒には支援員が必要です。常に生徒を監視するための人員や費用を用意してまで、「交流及び共同学習」を行うべきでしょうか。
交流学級で授業を受ければ、当然のことながら、特別支援学級での授業は受けられません。それを承知で「交流及び共同学習」を希望するわけですが、「クレーマー」の保護者は、諦めたはずの授業の実施を求めます。つまり、自分の子どものために、別途で授業をしろという要求です。
「無理を通せば道理が引っ込む」や「横車を押す」というようなことわざは、過去の遺物でしょうか。今では通用しない考えでしょうか。
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