記事概要 昨今の公立学校教員の仕事には、労働時間が長いとか、ブラックといった印象がつきまといます。難しい話ではありますが、公立学校教員の業務の公立可を図れそうな改善案を紹介していきます。今回は各校で存在している学校教育目標の異議について解説しています。
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学校教育目標を覚えているか
使われている言葉や体裁はさまざまですが、学校には学校の根本とされる「学校教育目標」があります。では、卒業または在学した学校の教育目標は、どのようなものだったでしょうか。叱られるかもしれませんが、私Garudaは校訓を覚えてはいても、自分が卒業した小学校・中学校・高校の、そして、自分が勤務した中学校の教育目標をほとんど記憶していません。それでも、カリスマな校長であれば、生徒に学校教育目標を叩き込むことができます。
さて、都道府県や区市町村の教育委員会にも教育目標がありますが、そのほとんどが教育に対する決意に基づく、立派で崇高なものです。けれど、言い訳になりますが、文字数が多いこともあり、私には容易に覚えられませんでしたし、覚えるつもりも一切ありませんでした。また、どれほどの教職員が暗唱できるかは不明です。そもそも、教職に就いて以来、学校教育目標を、いつ、誰が、どのような理想を抱いて定めたのか、そのいわれを聞いたことがありませんし、学校教育目標について話したことはありません。
学校では、「学校評価」という反省を年度末に実施し、その結果を基に翌年度の計画を立てることになっています。現在は児童・生徒や保護者を対象としたアンケート調査が主に行われ、学校だより等で結果が公表されていますが、私が教員になりたての頃の学校評価とは、一年間の不平・不満を吐き出すようなものでした。そのアンケートに、「学校教育目標は適切か」という項目がありました。私は回答に迷い、当時の教頭先生に尋ねると、「学校教育目標はそうそう変えるものではない」と教わりました。また、「知・德・体」、つまり、頭・心・体をどのように育てるかを文字化したもので、学校ごとで大差ないと説明してくれました。
確かに多くの学校で、学校教育目標は「知・德・体」に基づく三本柱(構成)となっています。近頃の小学校では、分かりやすさや覚えやすさを優先させてか、「~の子」や「~する子」という学校教育目標が目立ちますが、これも基本は同じです。
学校には、道徳指導計画だの、安全教育計画だの、さまざまな計画の作成・提出が教育委員会から求められます。計画の中心は、都教委の教育目標や学校教育目標の指定席となっていますが、覚えている人が少ない目標を飾る価値があるのでしょうか。「学校教育目標は毎年変えてもかまわない」という意見もありますが、それで目標の定着や徹底が図れるものでしょうか。
文部科学省や都道府県教育委員会の姿勢には、計画書の体裁が整えば、計画書が提出されればそれでよし、という思惑がうかがえてなりません。形だけで意味のないものを求めるようなら、やる意味はありません。
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