公立高校の大学進学率低落の現実 【日本の教育史・学校、教員、教育の余談】

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記事の概要 今回は、私立高校に圧倒され、大学進学実績で長く低落の状況にあると言われる、公立高校の復活について、教育の歴史と日本全国の私立・公立高校についての観点から解説します。
前回記事(「駅弁大学」の誕生)はこちら

「駅弁大学」の誕生 国立及び私立大学の歴史 【日本の教育史・学校、教員、教育の余談】
記事概要 第二次世界大戦後の学制改革の中で、「一県一国立大学」方針で誕生した大学のうち、「駅弁大学」とやや軽んじられた大学について書きます。前回記事はこちら第二次世界大戦前の大学国立(官立)大学 明治政府は1872年に学制(学校制度の基本方...
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新制高校の誕生と高校受験の過熱化

 旧制中学校や高等女学校が衣替えし、1948年に現在の高等学校(新制高校)が誕生しました。なお、入学難易度や大学進学実績については、第二次世界大戦前と変わらず、大部分の私立高校が公立高校の後を追う存在であったことは、全国で共通することでした。
 そして、中学校卒業までの9年間が義務教育となり、学歴偏重の風潮から、高校や大学という上級学校への進学が注目を集めます。その結果、高校受験や大学受験が過熱します。高校に進学できない生徒を憂える、「十五の春を泣かすな」という京都府知事の発言から、高校の新設や入試制度の変更が進みます。

公立高校の低落

 高校入試改革の一つが、京都府で始まった「学校群制度」です。学校群制度とは、2~3校の普通科高校を組み合わせて「群(グループ)」とし、群を単位として入学試験を行うという制度です。受験生は希望する高校が属する群に出願しますが、合格者は群内の高校にランダムに振り分けられますので、希望する高校に入学できるとは限りませんでした。つまり、受験者の中で群一番の成績を残そうとも、希望する高校に入学できない可能性があるわけです。

 この制度では、激化した高校受験競争の緩和と高校の偏差値の平均化を図ることを目的としていましたので、例えば東京都立日比谷高校を希望する生徒が、日比谷高校の属する第11群に第1位で合格しても、日比谷高校には入学できないという悲劇がありました。その結果、成績上位者に公立高校を敬遠する動きが現れ、その結果、難関大学への進学率が著しく低下しました。東京大学への合格者が年に180名を超すことのあった日比谷高校では、東大合格者が1名という年度もありました。

 代わって台頭したのが、国立大学の附属高校や私立高校でした。

公立高校の低落は全国共通か

 「公立高校の低落」を叫ぶマスコミがありますが、それとは異なる実態があります。戦前には、北海道大学を始めとして、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の7校の帝国大学(現在の国立大学)がありました。今でも「七帝大」と呼ばれ、一目置かれる大学ですが、それぞれの大学への合格実績を調べると、東京大学と京都大学以外は、地元の公立高校が上位を占めていることが分かります。これらの地域では、戦前からの名門高校が健在です。つまり、公立高校が低落したのは東京都や京都府や一部の県ということです。

公立高校の復活はこちら

「学区の厳格化」「高校6年制」 【公立高校の学力と大学進学率の復活1】
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