記事概要 立場や時代にかかわらず、公立私立を問わず、学校の教員が思っているけど言えないことについて説明します。今回は、公立学校でのインクルーシブ教育、障害のある生徒と健常な生徒が同じ空間で勉強をするには限界がある、ということについて解説していきます。これらは、公言すると、PTA、人権団体、新聞等のマスコミ、評論家、教育学者などその他もろもろが黙っていないので、現役の教員は絶対に主張しない(できない)ことです。
勉強は才能(前回記事)はこちら
インクルーシブ教育は無理
インクルーシブ教育とは
障害者の権利に関する条約第24条によれば、「インクルーシブ教育システム」(inclusive education system、署名時仮訳:包容する教育制度)とは、人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みであり、障害のある者が「general education system」(署名時仮訳:教育制度一般)から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な「合理的配慮」が提供される等が必要とされている。
参照 https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1325884.htm
インクルーシブ教育による、公立学校の教育現場の実態
インクルーシブ教育とは上記の条約に基づくものです。この条約の理念により、現在、公立小中学校では、障害のある生徒も障害のない生徒と同じ学級で、これまで以上に学習することができます。しかし公立学校の教員は、インクルーシブ教育には限界があることに気づいています。現状では、『この児童・生徒は通常学級は適さない』『この児童・生徒は特別支援学級や特別支援学校で学んだほうがいい』というような子どもでさえも、本人の希望(親のエゴ)で通常学級に在籍していることもあります。見境なく友達を殴ってしまう、通常学級で行われる授業にはほとんどついていけない、何度も教師に指導されても指示に従うことができない、補助員や介助員なしでは学校生活を送られないというような児童・生徒は、通常学級にいて幸せなのでしょうか。
インクルーシブ教育による、誰も幸せにならない学校現場
障害のある子どもが教育を享受する権利の保護も大事ですが、障害のない子どもが教育を享受する権利の保護も見逃してはなりません。運動会や合唱コンクールなどの学校行事では、障害のある生徒とない生徒を分けたほうが、双方にメリットがあることも多々あります。『インクルーシブ教育』という言葉による理不尽とも思える要求が、公教育や児童・生徒や教職員の過度な負担となりつつあります。無理に全てを包括するのではなく、必要あれば障害のある生徒とない生徒を分けるべきです。「無理を通せば道理が引っ込む」ということわざがあります。「言ったが勝ち」でよいものでしょうか。道理が引っ込み続けた先には、無秩序が待っています。障害のある子どもも、障害のない子供も、教員も、誰も幸せになれない世界が誕生します。
ここで難しいのが、障害者の定義です。障碍者の定義についてはこちら。
教員が思っている公には言えないことの続きはこちら
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