記事概要 昨今の公立学校教員の仕事には、労働時間が長いとか、ブラックといった印象がつきまといます。難しい話ではありますが、公立学校教員の業務の公立可を図れそうな改善案を紹介していきます。今回は校則の歴史に触れながら、校則は今後どうなっていくべきかについて解説しています。
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「下着は白」でないといけないか
周期的に「校則」の一部が話題となりますが、その根底には、「校則」イコール「悪」や「時代遅れ」という主張というか固定観念が隠されているように思えてなりません。身近なところでは、下着や髪の色の規定についてあれこれ取りざたされることがあります。要は、「個人の自由だ」「現実的でない」という考えからの発言のようですが、校則の生まれた経緯や理由を理解しないと、無責任な考えや発言になるかもしれません。なぜなら、立法府である国会は、我が国が必要とする法律を定めたり改めたりします。それは、「法に定めがない」という勝手な解釈での悪事を阻んだり、社会の変化に対応したりするためです。
学校、主に中学・高校でも、同じような理由で「校則」が必要となり、定められたのでしょう。中学生となり、生徒手帳が配られ、生徒心得や校則が小さな文字で印刷されていことを覚えています。その中には、髪形や通学靴の規定があったように記憶しています。教員となり、赴任先の校則に基づいて生活指導を行いましたが、規則にはあっても下着の色の検査は行ったこともなければ聞いたこともありません。
そもそも下着の色を決めるのは誰でしょうか。校則で定めなければならないものは何でしょうか。
校則の歴史
生徒指導の記事でもふれましたが、我が国の教育制度は第二次世界大戦を境に大きく変わりました。戦前の義務教育は小学校の6年間で、「校則」のような明文化された規則はなかったようです。旧制中学校や高等女学校でも、服装に関する規定はあっても、その他の細かな規則は見当たりません。入学試験という選抜があり、また、比較的裕福な家庭の子女の学校であったことから、「校則」などは不要だったのかもしれません。
第二次世界大戦後の昭和22(1947)年から、我が国の義務教育は中学校卒業までの9年間となります。新制高校(現在の高校)への進学率も徐々に高まり、昭和30(1955)年には50%を超えます。
「校則」を初めて定めた学校は不明ですが、現在の「6・3・3・4」制が始まって、中学・高校では「校則」が定められるようになります。その主な内容は、服装や髪形に関する生徒(生活)指導と、学校(日常)生活に関わる非行防止でした。
③ バイバイ、校則
教員や警官が不正を正す存在とされ、指示に従わなかったり、ルールを破ったりする子どもを、「先生(おまわりさん)に言うぞ」と脅す時代がありました。そこで、児童・生徒をしつけたり、学校の規律を保ったりする一環で生まれたのが「校則」と思われます。
例えば、「学習に不要な物は持ってこない」という校則があります。金銭や高額な物品は、紛失や損傷があるとその対応が難しい場合があります。「学校で起きたことだから、全て責任は学校にある」と言われても、即座の解決が図れるわけではありません。場合によっては、 「校則」に学校や教員が拘束されることもあります。下着の色などを「校則」に示すより、保護者や家庭に委ねられることは委ね、「校則」の軽量化を進めることが「バイバイ、ブラックな学校」につながることでしょう。
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