記事概要 保護者や生徒、若手の教員が、関わりのある教員の資質を測るための評価基準を書いていきます。残念ながら、公立学校に所属する教職員は、誰しもが「いい人間」「有能な人間」だとは限りません。公立の小中学校に携わる教職員を評価する際の、基準やバロメーターについてこれまで解説してきましたが、今回は、学年主任の資質及び評価基準について書いていきます。
前回記事はこちら
授業こそすべて
学年主任は、教科指導・生活指導を行う全ての教員の手本となる教員です。どんな教員でもまずは、「教科指導の能力」があってこそ評価されます。それすらできていない中堅や「老害」教員がいるのも事実ですが、学年主任を務める教員であれば、授業力があるのは大前提でしょう。むしろ、授業力がない人間が学年主任をやっているような学校は、とんでもない人材不足と言っても過言ではありません。
教科に関係なく、ほかの教員と比べて、「〇〇先生の授業は面白い」「〇〇先生の授業が好き」ということを生徒から言われないような学年主任は、話にならないでしょう。
職場環境の秩序を保てられているか
さまざまな問題を、なあなあで済ませようとする学年主任に限ったことではありませんが、上の立場にいる人間で、なあなあで物事を済ませようとする人間は最悪です。「だめなものはだめ」と言えない人間は、上に立つ器を持ち合わせている人間ではありません。具体的に言えば、(職)場の空気を悪くする発言をする人がいるとします。学年主任、または主任級の人物であれば、その人の発言を(またこいつ無駄口を叩いてるよ)と思うだけではなく、「お前二度と調子乗ってるような口きくなよ」くらい言える人間でないと、学年主任の立場にいる意味がありません。「言論の弾圧だ」なんて言われようが、場の空気を壊すような発言をする人間に有無を言わせないような雰囲気がある人間でなければ、学年主任は務めるに値しません。
声が大きく、文句の多い教員によって、学校や学年の雰囲気が悪くなるのではありません。文句の多い教員を黙らせることができないような、力量のない学年主任が仕事をしないことによって、学校の雰囲気が悪くなるのです。
これは、口が悪く、文句の多い教員に限った話ではありません。学年のナンバー2であろうとも、未来の校長候補であろうとも、また、いかにバックに強大な権力を携えていようとも、誰に対しても公平に「だめなものはだめ」と言える人こそ学年主任であるべきなのです。
しかしながら、全ての意見を封殺してこそ学年主任足りうるということではありません。グループディスカッションやブレインストーミングを活用して、独創的な意見を求めるような機会もあるでしょう。そのようなときに、誰に対しても公平に話を振り、意見を拾えるかも必須の能力に間違いないです。
学校運営全体のため、まず、教員の働く環境を改善してこそ、学年主任が学年主任である意味があります。
この続きはこちら
コメント