いじめは悪という常識 いじめられる側にも非がある 【教員が思っている公には言えないこと】

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記事概要 立場や時代にかかわらず、公立私立を問わず、学校の教員が思っているけど言えないことについて説明します。今回は、教員の視点から見た「いじめ」についてです。要するに「いじめる側が100%悪いのか」ということについてです。これらは、公言すると、PTA、人権団体、新聞等のマスコミ、評論家、教育学者などその他もろもろが黙っていないので、現役の教員は絶対に主張しない(できない)ことです。
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小学校に上がる子どもに行う就学時健康診断 【教員が思っている公には言えないこと】
記事概要 立場や時代にかかわらず、公立私立を問わず、学校の教員が思っているけど言えないことについて説明します。今回は、なぜ就学時健康診断(就学前健診)を行うのか、教員が就学時健康診断について思っていることを述べます。要するに、親のエゴにより...
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『いじめは悪』という教員の常識

 現在の教育界では、『いじめは悪』という概念が定着しています。教員は全員、「いじめは許されない。いじめられる児童・生徒に非はない。いじめる児童・生徒が悪い」ということを主張します。この話を疑問に思うなら、現役の教員に、「いじめられる側に非はないのか」と実際に尋ねてみてください。全員が「いじめる側が悪い」と答えるでしょう。万が一、教員が、「いじめられる側にも非はある」というようなこと言ったとします。すると、人権団体や障害のある生徒の保護者が黙っていないでしょう。最悪の場合、その教員が解雇に追い込まれる可能性さえ出てきます。したがって、「いじめは悪」と答えねばならぬという考えが、教員の間に徹底されています。

 ちなみに、この考えは、教員採用試験でも合格するには必須の考えであり、もしも面接でいじめについて質問され、「いじめられる側にも非がある場合がある」なんてことを受験生が言おうものなら、教員採用試験の不合格が瞬時に決定すると考えてよいでしょう。これほどに、「いじめは悪」という考えが学校業界では徹底されているということです。

 しかし、実際にいじめが発生した際、「いじめる側がすべて悪い」のでしょうか。

いじめが発生時の周囲の生徒の反応

 極端に児童・生徒数の少ない学級でもない限り、例えば、30人程度の学級では、いじめる児童・生徒といじめられる児童・生徒だけで構成されているわけではありません。「いじめ」とまではいかないものの、学級内の力関係から、心理的、物理的な攻撃、つまりいじめが発生した場合、攻撃する児童・生徒、攻撃される児童・生徒、この2つに加え、傍観する者、攻撃に加担する者、攻撃を止めようとする者、教員に助けを請いに行く者、囃し立てる者など、さまざまに分類されることでしょう。このような場合に、たとえ一人でも、攻撃されている側を助けようとする児童・生徒が現れても、なんら不思議ではないでしょう。「人を助ける」という考えは、人間であれば誰にも備わっている本能的な考えではないでしょうか。転んでしまった人に、報酬を期待しながら手を差し伸べる人がいるでしょうか。目の前で落ちたハンカチを拾ってあげて「拾ってあげた代わりに金を払え」と言える人がいるでしょうか。「人助け」に、見返りや報酬はいらないはずです。

 しかし、学級内で「いじめ」が発生した際、助けに回る児童・生徒がいない状況が大半です。なぜでしょうか。上に書いたとおり、人を助けるのに理由はいらない、人を助けるのは自然なことであるはずです。学校での道徳の指導が足りていないわけではありません。いくら道徳の授業を行おうとも、いじめは発生します。いじめが発生した時に周囲が助けの手を差し伸べないのは、「いじめられている児童・生徒が、助けるに値しない」と思っている場合が多いのです。心理的、物理的な攻撃が始まった際には、周囲の児童・生徒は攻撃されている側を助けるかもしれません。しかし、その攻撃が日常的になり、また、その攻撃が特定のグループ内のじゃれ合いと見えると、助けようと思わなくなります。この場合、いじめられている児童・生徒は、周囲に助けてもらえません。いじめが起こったときに周囲の生徒が傍観者になる場合が多いのは、その周囲の生徒たちがいじめられている生徒を見捨てている場合が多いからです。

「盗人にも三分の理」……いじめられる側にも非がある

 「盗人にも三分の理」ということわざを聞いたことがあるでしょうか。悪事を働く側にも、それなりの理屈はあるということです。三分は3%を表す単位ですので、このことわざは「盗みが発生したとき、盗人に97%の非があるが、3%は盗まれた側にも責任がある(盗みが発生してしまうようなセキュリティの状態になっているのも悪い)」ということです。
 つまり、いじめられっ子側にも、少しは非があるということは、知っておくべきです。
 
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