記事概要 立場や時代にかかわらず、公立私立を問わず、学校の教員が思っているけど言えないことについて説明します。今回は、いじめを通じて、「大人」が学校や教員をいじめているということについて解説していきます。これらは、公言すると、PTA、人権団体、新聞等のマスコミ、評論家、教育学者などその他もろもろが黙っていないので、現役の教員は絶対に主張しない(できない)ことです。
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いじめの責任の所在
「いじめ(ではなく犯罪行為)」による重大事件や死亡事故が発生すると、矢面に立たされたり非難・糾弾されたりするのは、決まって教職員や学校や教育委員会です。校長や教育委員会の幹部が深々と頭を下げる場面がしばしば報道されますが、これは正しい措置でしょうか。『ふざけるな。悪いのは子だろう、親だろう』と思っても、まさか口には出せません。「悪あがき」と言いたいところですが、加害側の児童生徒やその保護者には、正直に非を認めるより、責任を回避する方策を練る姿がしばしば見られます。
いじめ解決の難しさ
さて、「いじめ」事件の難しさには、次のような事態があがります。
証拠の提示や証言の難しさ
「いじめ」の予防や、発生した「いじめ」への的確な対応を目的に、ほとんどの学校では学期に1度、つまり年に3度はアンケート調査を実施します。そして、「いじめ」の案件を把握した場合は、その解消に努め、調査結果を対応の全てを教育委員会に報告しています。
重大事件や死亡事故が発生すれば、緊急な調査を実施しますが、問題となるのは、「いじめ」の実際を見た・聞いたという回答です。無記名の回答であれば、その信憑性が疑われますし、記名であれば、さまざま機関や人物から回答者にいろいろな聴取が行われる可能性があります。児童生徒が聴取に応じるとしても、保護者が難色を示す場合もあります。
時に、アンケート調査を「隠匿」していたとマスコミが攻撃しますが、「隠匿」ではなく、調査や結果を簡単には公表できない事由もあるのです。
「いじめ」の被害者支援の難しさ、被害者隔離の難しさ
「いじめられる」というより、本人の日ごろの言動から、学級や学年の児童生徒から距離を置かれる、相手にされないというケースがあります。学校行事や諸活動や席替えなどで、トラブルとならないよう学級担任はリーダー格の生徒に根回したりしますが、全てがうまくいくわけでもありません。それを「いじめ」とされても、『困った』としか言いようがありません。
いじめられる側にも非があるはこちら
問題行動のあるグループで、「いじめ」の対象と思われるケースがあります。グループの中心となる児童生徒や「いじめられる」本人に尋ねても、「いじめ」を否定することが多く、また、グループからの離脱を勧めても、耳を貸さないことが多くあります。
挙句の果てには、「先生はうちの子を悪者扱いするんですが。うちの子と付き合うなと言ったんですか」と詰目寄られる始末。
これでは、学校や教員への「いじめ」ではないでしょうか。
「いじめは悪」は子どものため、社会のためなのかはこちら
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