記事概要 第二次世界大戦後の学制改革の中で、「一県一国立大学」方針で誕生した大学のうち、「駅弁大学」とやや軽んじられた大学について書きます。
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第二次世界大戦前の大学
国立(官立)大学
明治政府は1872年に学制(学校制度の基本方針)」を発布し、近代日本の教育環境を整え、日本人全員が学校に通うという、「国民皆学」という方針を示します。そこで、全国にバランスよく学校を設立するために、全国を大学区・中学区・小学区に分けました。そして、大学区に置く学校を「大学」、中学区に置く学校を「中学校」、小学区に置く学校を「小学校」と名付けました。学制が発布された1872年では、大学区が8、中学区が32、小学区が210ありました。
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小学校の設立は学制発布と同時に始まりましたが、大学は、1886年に東京に設立された帝国大学が我が国初の大学でした。次いで京都に帝国大学が設立され、その後、東北帝国大学、九州帝国大学、北海道帝国大学、大阪帝国大学、そして、1937年に名古屋帝国大学が設立されて、学部の複数ある総合大学は7校(七帝大)となりました。
その他に、単科大学として7校の医科大学と3校の商科大学がありました。また、教員を養成する文理科大学が2校ありましたが、これらの12校は、年月を経て「大学」と改名された(昇格した)学校でした。
私立大学
明治から現在に続く私立大学といえば、早稲田大学や慶應義塾大学があります。明治政府の方針で、大学とされたのは帝国大学だけでしたので、大隈重信による早稲田大学は、設立時は東京専門学校という名称でした。また、福沢諭吉の主導する慶應義塾大学は、慶応に生まれた塾ということで、慶応義塾と名付けられました。その後、私立学校が次々と誕生し、中には「大学」を名乗る学校も現れましたが、1920年に「大学令」が発令され、私立学校が正式に「大学」となり、卒業生には「大学士」という学位が認められました。
大学に昇格したのは、早稲田大学・慶応義塾大学・同志社大学・法政大学・明治大学・中央大学・日本大学・國學院大學の8校でした。
第二次世界大戦後の大学
新制大学 「駅弁大学」
戦後の学制改革で、大学は4年制となります。戦前の3年制大学(旧制大学)との混同を避けるために、戦後に発足した大学を新制大学と呼んで区別しました。
新制大学は、その誕生位から次の4種に分けられます。一つは、東北大学や明治大学など、戦前から続く国立・私立大学。次は、金沢大学や熊本大学など、戦前の3年制高等学校が4年制大学に昇格した大学。そして、全ての県に国立大学を設立するという「一県一国立大学」の方針で誕生した国立大学。「県庁所在地の駅ごとにできた『駅弁大学』」と口の悪い人間が語ったことから、一部の地方大学が「駅弁大学」と呼ばれることとなりました。
残る一つは、1949年以降に設立された大学です。ちなみに現在国内には、795校の大学があります
「シンデレラ大学」「二階級特進」
教員養成学校だった師範学校・女子師範学校も大学に昇格します。東京・奈良・広島にあった4校の高等師範学校・女子師範学校は、東京教育大学・お茶の水女子大学・奈良女子大学・広島大学となりますが、その他の師範学校・女子師範学校は学芸大学という名で昇格します。しかし、師範学校・女子師範学校は、旧制の中学校・高等女学校と同等、つまり、現在の高校に相当します。中学から大学に姿を変えたということで、学芸大学を「シンデレラ大学」「二階級特進」と陰で呼ぶ人もいました。
そうした背景からか、北海道学芸大学が北海道教育大学となったように、各地の学芸大学はその名を「教育大学」に変更します。しかし、東京には教育大学が既に存在していましたので、東京学芸大学は「教育大学」には改名できませんでした。
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