偏差値50以下の現実 中学受験で割りを食うのはだれか 【勉強は才能】

スポンサーリンク

記事概要 昨今、首都圏では中学受験熱が高まり、中学受験を検討する小学生が増えている。中学受験をする子どもの中で、学力が平均以下の子どもの現実を解説する。
前回記事はこちら

スポンサーリンク

偏差値50以下の現実

 中学受験を目指して塾などで1年間みっちりと勉強をしたにもかかわらず、偏差値50に達しない場合、それは本人に勉強の才能がないと判断すべきである。評価・評定は努力の成果ではなく、上位の評価・評定には一定の才能が必要である。『せっかく1年勉強したのに』と思うかもしれないが、諦めも合理的な判断である。努力による伸びしろが期待できるのは、最低限の基礎能力を持つ者に限られる。遺伝子は嘘をつかない。

 「努力さえすれば何とかなる」という信念を親たちは持ちがちだが、それは現実を無視した甘い考えだ。才能がない場合、どれだけ時間を費やしても、成果は期待できない。むしろ、子どもに不必要なプレッシャーを与え、自尊心を損なうだけだ。
才能がないのに、勉強を強いるのは、これといって成果があまり出ず、時間の無駄になる可能性が高く、そんなことをするのであれば、別の分野の新しい何か(スポーツ、芸術など)にお金を割いて挑戦させたほうが、非認知能力は養われるだろう。

学力は遺伝する

 教育において遺伝は無視できない要素である。学力の高さや勉強への適性は、ある程度親から受け継がれるものだ。もし子どもの学力が低い場合、その原因は遺伝的な要素にある可能性が高い。つまり、親自身が学力的に高くない場合、子どもに高い学力を求めること自体が非現実的である。

 それにもかかわらず、一部の親は自分自身の学力不足を顧みることなく、子どもに過度な期待を押し付ける。これは、親の自己満足や見栄のために子どもを犠牲にする行為であり、子どもにとって不幸以外の何物でもない。

読解力の欠如が招く弊害

 読解力がない人間は、情報を正確に分析し、真偽を判断する能力に欠けている。このような人々はメディアや世間の流行に踊らされやすく、「子どもを中学受験させないとかわいそうだ」といった根拠のない考えを信じ込む傾向がある。

 しかし、実際には中学受験がすべての子どもにとって最善の選択肢ではない。読解力が不足している親たちは、こうした基本的な事実を理解することができないため、子どもに無理な受験勉強を強いる。不必要な競争に巻き込まれた子どもは、その代償を大きく払わされることになる。
この続きはこちら

コメント

タイトルとURLをコピーしました