ノートをとることの必要性

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子どもの学習環境を取り巻く機器の発達により、子どもの勉強方法も変化してきている。教員はパワーポイントを使ってスライド式の授業を行うことができる。子どもがそれぞれ、iPadのようなタブレット端末、インターネットを活用できる電子機器を持っていれば、教員が使ったスライドを授業後も見ることができる。生徒は授業に出なくとも、スライドだけで授業の大まかな内容を理解することができる。

教材の共有を子どもとできるようになると、授業中にノートをとる必要性が減る。特に、数学や理科で言えば、教科書中の図を写す必要がなくなる。授業中に他のことに打ち込む時間が増える。ノートをとる機会が減ることには、メリットしかない。

しかしながら、ノートをとる機会が減ることにより、要点を書きとる、大事な部分をメモすることができない子どもが増えるという意見がでる。ノートをとること=要点をつかむ能力を鍛えることであるという考えである。私はそうは思わない。

公立学校を卒業した人であれば、ほとんどの人が先生が黒板に書くことのほとんどを、ノートに書き写していただろう。幼少期から、重要部分のみノートにとることができたら、勉強においてだれも苦労はしない。

小中9年間、公立学校でまじめに勉強に取り組んでも、黒板に書かれたことを実直に書き写していても、要点をつかめない子どももいる。同様に、話の中の大事なことを理解できない大人ももちろんいる。このことから分かることは、素直に真面目に板書の内容を書き写そうが、内容を理解できない人もいるし、ノートをとらなくても理解度が高い生徒もいる訳である。

確かに、ノートをとる練習をすることにより、要点をつかむ能力が身につくかもしれない。練習をすることは大事であるかもしれないが、内容を把握する能力には、個人差によるものの影響が大きいため、子どもにノートをとることを強制するべきではない。要点をつかむ能力は社会に出ても大事ではあるが、個人に合った方法でその能力をつけていくことがベストである。ゆえに私は、ノート提出により成績をつけるやり方は間違っていると考える。提出物により成績をつけるためだとしても、ノート提出という方法に縛られるべきではない。

以前東大生のノートに関する記事でも書いたが、ノートをとることは必ずしも必要なことではないと考える。究極のところ、すべて一度に覚えてしまえる人もいる訳である。重要なところも重要ではないところもすべて覚えられれば、これに勝るものはない。

以前の記事

自分に合った勉強
自分に合った勉強勉強の方法が多様化していくような世の中で、自分に合った勉強法を見つけることが、勉強の効率を高める方法であると考えている。東大合格生のノートはかならず美しい東大合格生のノートはかならず美しいposted with ヨメレバ太田

結果として、才能による差は大きいということでもあるが、どんな教育環境になろうとも私は、ノートをとることを強制させるような教育は反対である。教育界全体として、子どもにノートをとることを強制させるようなことがないような風潮になってほしい。

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