「中学生・高校生らしくない」

スポンサーリンク

子どもはよく、校則を例に挙げて「なぜこの校則があるのかなのか」というような質問をぶつける。そこでよく出てくる教員の答えに「中学生・高校生らしくない」という言葉がある。学校のルールを強要する側にとっては、非常に使い勝手のいい言葉である。漠然とした表現、抽象的な言葉というのは、拡大解釈がしやすいため、どのようなルールにも適応させやすいのである。抽象的な表現をうまく拡大解釈するというのは学校だけの話ではなく、日本国憲法の改正の時にも使われているような、割とどこでも利用されているような手法である。

「中学生らしい中学生」「高校生らしい高校生」というものはなんなのだろうか。これらの言葉には中学生や高校生自身と、大人との間に解釈の違いが存在すると考える。

中高生にとっての「中学生らしい中学生」「高校生らしい高校生」というのは、等身大の自分自身であるように感じる。まさしく今の自分たちの姿である。もしくは、それすらわからず、大人の使うこれらの言葉の明確な定義を求めていると感じる。

教員にとっての「中学生らしい中学生」「高校生らしい高校生」というものは、教員の指示に従い、問題を起こさない都合のいい子ども像である気がする。従順な子どもを模範的な子どもとみなすため、校則を破ろうとするような子どもを叩くという、出る杭を打つような考えにつながる。

結論として言いたいのは、「中学生・高校生らしくない」という言葉は、世代によってのジェネレーションギャップが生じやすい言葉なので、使うべきでない言葉である。生徒の意見や不満に対して「中学生・高校生らしくない」という言葉で片づけるような教員は、論理的に生徒の意見や不満に対しての答えを見出すことができないのだと考える。大人が使う「中学生らしい中学生」「高校生らしい高校生」という言葉は、子どものアイデンティティの否定につながることもあると考える。

コメント

タイトルとURLをコピーしました