日本の教育制度

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日本の公立学校の制度は限界が来ている。日本が太平洋戦争に負けてGHQが定めた教育方法に従って公教育を行い、すでに70年以上がたった。指示にあらがうような異端分子を叩き、兵士のようなただただ従順な子どもをつくる全体教育は、すでに時代遅れである。しかし、変化を嫌う日本の国民性だからか、教育界に革新的な変化は起きない。時代に合わず不必要・不合理な制度はたくさんある。それらを疑問に思わない・改善しようとしないのは、組織のトップ(校長や文部科学省)が今までやってきたことが正しいと信じ込んでいるからである。だから組織の下の人間が不合理に不満を持つ。

合理性の追求のためにも、今の常識を疑う必要がある。無駄なことをすべてなくせ、ということではない。授業中の雑談ももちろん必要なこともあるだろう(私はあまり授業中の雑談を良しとは思っていないが)。ただ、「今までずっとやっていたから」という理由で続けていくことの中には、続ける必要のないこと、間違っていることもある。全校朝礼は本当に必要なのか。不登校の何が悪いのか。部活は本当に必要なのか。頭髪のルールは必要なのか。化粧をして学校に来てはいけないのだろうか。市や区が定めた授業のカリキュラムは現場の教員のためになっているのか。なぜ役に立ちそうにない研修が行われなければならないのか。それをやれと命じている法律は必要なのか。

私がさっと思いついた学校に対する疑問や不満について、挙げたらきりがない。しかし、これはあくまで私のではあるが、同じように考える若手の教員もいるのではないだろうか。そしてこれらの疑問に対して論理的に答えられる中堅やベテラン、管理職はどの程度いるのだろうか。「どこもやっているから」「それが普通だから」「しょうがないことだから」という理由になってしまわないだろうか。教員たちが不合理なことに押さえつけられているがゆえに、生徒にも不合理なことを押し付けていると感じている。「それが普通・常識だから」を押し付けられている教員が、生徒にもそれを強要している気がする。

私は、これからは「個」が大事になる世界になると信じている。とびぬけた「個」は世界を変える力がある。むしろ「個」のない人間は「無」になりかねない。出る杭を叩くという全体教育が個性をつぶしている。みんな違ってみんないいのだから、個性をだしていこう。

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