「お金がある家の子どもは頭がいい」 教育機会の平等の行く末

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 インターネットが普及する社会になっていくにつれ、「教育の機会均等」の度合いが非常に高まっているように感じる。指導力のある教員から学ぶ子どもは、指導力のない教員から学ぶ子どもよりも知能が上がるだろう。そういった意味では、公立学校の教育の場においても、教員に指導力の能力に差がある限り、「教育の完全な平等」ということは実現しえない。

では、お金をかけてまでして、指導力のある教員の多い学校に子どもを通わせるべきなのか。私立のハイクラスの学校であれば、子どもの学力は上がるのだろうか。間違いではないが、お金で勉強の機会を買うことが最高の方法だとは、私は思わない。だれが教えるかということよりも、自分で勉強するかが勉強において大事であるからだ。

ところで現代では、「指導者が悪い」という問題はほとんど存在しないと私はにらんでいる。これは勉強に関わらず、様々な環境で当てはまることである。インターネットにより、情報過多の時代になったからだ。

近年、子どもの勉強の方法も変わってきた。「スタディサプリ」や「進研ゼミ」、「Z会」。こどもは好きな時間に好きな先生の講義を聞くことができるようになってきた。「子どもは教員を選べない」というのは、もうすでに時代錯誤の考え方である(むしろ、「教員は子どもを選べない」という時代になってくるかもしれない)。

確かにこれらのサービスは、お金を払わなければ使うことができない。「お金がある家の子どもは頭がいい」これは一理ある。親の経済力と子どもの知能の比例式の法則は、世界がひっくり返らない限りこの世の真理となり続けるだろう。

しかし、勉強のための無料のコンテンツは増えてきている。Youtubeの動画でも、十分に勉強することができるコンテンツは存在する。今後は、live配信による勉強のためのコンテンツも今後は生まれるのではないかと考える。お金があればよりよい勉強を行うことができるかもしれないが、無料でもハイクオリティの勉強を行うことができる時代が「今」である。これも、インターネットが普及したことにより、これらのコンテンツを生み出すことができるようになったし、コンテンツを享受する人が生まれているインターネットの最大の功績は「無料のコンテンツを生み出す環境をつくったこと」と言ってもいいかもしれない。

だれもが教育の機会を享受できるようになった今、親に経済力がある子どもの学力は今後も高いかもしれないが、親に経済力がなくても子どもの学力が高いという例は増えると考える。となると、何が子どもの学力に最も影響を及ぼすのか。子ども自身のやる気である。

 教育機会の均等が実現しつつあるこれからの時代、子どもの学力の伸ばし方は、「子どもを勉強する場所に置く」ではなく「子どもの勉強のやる気を引きだす」ことが、最も効率がいい。大人は、子どもが自発的に勉強にするようにアプローチをかけていこう。

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