「医学部卒でない医者」 【日本の教育史・学校、教員、教育の余談】

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記事概要 今回は、戦前の教育体制での、大学の医学部を卒業していなくても医者になれる方法と、それを実行した野口英世について書きます。
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医学部卒でない医者

 現在では、医師(医者)になるには、大学の医学部で6年間学び、卒業し、年に1度行われる医師国家試験に合格しなければなりません。なお、私立大学の医学部に入学する場合は、国・公立大学と比較して授業料も高額ですので、医者になるにはある程度の費用が前もって必要でしょうが。

 さて、黄熱病(おうねつびょう)や梅毒の研究で世界的に有名な日本人医師が、その伝記で広く知られる福島県出身の野口英世です。長年の細菌研究の功績から、英世はノーベル生理学・医学賞の候補者に3度も選ばれます。

 明治の初めに貧しい農家に生まれた英世は、大学はおろか、旧制の中学にも高等学校にも進学していません。その英世は、どのようにして医者となることができたのでしょうか。

 野口英世は本名を清作といいます。野口英世の伝記に詳しいことですが、清作は一歳の時に囲炉裏に落ち、左手の指が固まってしまうという大やけどを負います。その傷でいじめられることもありましたが、母シカに諭され、勉学に励む清作は、小林先生の助力で、小学校卒業後に、2年制の高等小学校に進むことができました。

 左手の切開手術を受けたことをきっかけに、高等小学校卒業後、清作は医者を志して上京します。しかし、上級学校で学ぶ資金などありません。そこで、病院に住み込みで働きながら、医学の基礎を学びます。そして、「医術開業試験」に挑戦します。

 「医術開業試験」は、1875年から1916年まで続いた制度で、年齢や学歴等に関係なく受験することが可能で、独学であっても合格すれば医者となることができました。試験には、筆記試験である前期試験と、臨床試験である後期試験がありました。どちらも難易度は高かったと言われますが、前期試験に合格した清作は、予備校に相当する学校で学ぶことで後期試験にも合格し、大学を経ずして医者となり、後に伝染病の研究者となります。

 教育制度が整い、医学が高度に進歩した現在では、とうてい考えられないエピソードです。

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