公立及び私立学校の男女共学校の誕生と流れ 【日本の教育史】

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記事の概要 近年LGBTの課題もあり、男女という性の区別に関する認識も変化してきています。男女共学か男女別学か、男女共学校か男子校か女子校かについて、その歴史と今後について書きます。

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男女共学校の誕生

 

公立中学校(新制中学校)

 第二次世界大戦前では6年制の尋常小学校が義務教育でしたので、卒業後は就職するか、2年制の高等小学校に通うか、5年制の(旧制)中学校または高等女学校に通うかしました。中学校には男子しか入学できませんので、共学の中学は皆無でした。

 しかし、第二次世界大戦後に「6・3・3・4制」が導入され、全国すべての中学校は共学となりましたが、男女別学が男女共学と変えられての、混乱や反発はなかったのでしょうか。

私立中学校(私立中学部)

 私立中学校も第二次世界大戦前は男女別学でした。しかし、「6・3・3・4制」が導入されたからといって、共学化した学校はほとんどありませんでした。

公立高等学校(新制高等学校)

 第二次世界大戦前の(旧制)中学校は5年制の男子校でしたので、その4年生、5年生は現在の高校1年生、2年生に相当します。ちなみに、東京府立第一中学校は、第二次世界大戦後に東京都立日比谷高校と改名されます。
 
 公立高校は中学と同じく共学となりますが、完璧な共学とは異なる現実がありました。日比谷高校のような元男子校の多くでは、入学定員の男女比はほほ3:1で、白鷗高校のような元女子校の場合はその逆の1:3で入学検査が行われました。つまり、新設高校を除けば、男子校・女子校の気風が強く残る共学校、いわゆる名門校や伝統校が多数あったということです。

 なお、都立高校の入学定員の男女比を1:1とすることが求められ、実現の運びとなりましたが、男女比が3:1や1:3であっても問題視されることが無かった時代を思うと、隔絶の感があります。

私立高等学校(新制高等学校)

 私立高校では、共学校とするか、男子校とするか、女子校とするかは一任されていました。しかし、施設改修や教員確保の関係から、多くの男子中は男子高校に、女子中は女子高校となりました。なお、東京都では、一部の私立高校を除けば、都立高校の「滑り止め校」と位置付けられ、経営の厳しい学校もありました。

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