記事概要 昨今の公立学校教員の仕事には、労働時間が長いとか、ブラックといった印象がつきまといます。難しい話ではありますが、公立学校教員の業務の公立可を図れそうな改善案を紹介していきます。今回は給食の歴史から、給食に伴う教員の業務について解説しています。
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給食。食(しょく)を(たま)う
全国の大部分の小・中学生が昼に一斉に口にする「給食」。訓読すると「食を給う」となりますが、よく考えれば不思議な話です。字義からすれば、上位者(権力者・有力者)が下位者に食(食事・食物)を給う(与える・提供する)ことです。つまり、「給食」は「昼食」ではないということです。
聞くところでは、明治時代に山形県のある寺(僧侶・お坊さん)が、食に困る子どもにおにぎり・焼き魚・漬物による昼食を用意したことが、「学校給食」の原点といわれます。このような「給う」という行いが、まさしく「給食」でしょう。
給食当番
第二次世界大戦前では、小学校までが義務教育で、大正末から学校給食が徐々に普及します。第二次世界大戦後、義務教育は中学校卒業までの9年間となり、学校給食の実施率も高まります。
給食調理が民間に委託されるまでは、給食調理主事の手による給食や脱脂粉乳(後に牛乳)を、当番の児童・生徒が調理室から教室まで運んでいましたが、時には、運搬の途中で食缶を落としてしまうなどの悲しいトラブルが発生することもありました。
では、以前の標準的な給食準備を振り返ってみます。午前の授業が終わると、児童・生徒は手洗い場に行きますが、クラスによっては当番の手荒いを優先させます。そして当番は、給食白衣、白帽、場合によってはマスクを着用し、一階の調理室に向かいます。この時中学校では、学級担任がつまらぬ苦労をすることがあります。一つは、白衣やマスクの忘れ。それから、洗濯されていないと思われる白衣の存在。どちらも当番活動の支障となります。
また、高学年になると、白衣はまだしも、白帽の着用を嫌がり、担任は一苦労することがありましたが、更衣や着衣が不徹底であると、調理室前に控える教員から指導を受けたり、苦情を寄せられたりと、騒ぎになることもありました。
バイバイ、給食白衣
給食調理に要する費用の軽減等の関係で、給食業務の民間委託が急速に進みました。その結果、食缶や食器や飲み物は各教室まで運ばれるようになり、児童・生徒の給食当番活動は大きく軽減されました。残る課題は白衣、白帽、マスクの着用でしょうか。
文部科学省の「食に関する指導の手引き」には、「給食当番活動は『衛生的な服装』による」と書かれていますが、「白衣」と限定されてはいません。白衣・白帽に代わるものを持参させることで、給食準備はより円滑になるのではないでしょうか。
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