記事概要 今日の学校において、不登校になる子どもが増えています。しかし、「不登校」自体をネガティブに考えることは間違っていますし、不登校の子どもを無理やり学校に通わせるのも間違っています。「不登校」という言葉に、これからの時代にふさわしいポジティブなイメージをつけていきます。
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不登校になりかけたら
これまで繰り返しお伝えしましたが、日本の国民には、「教育の義務」という義務が課せられています。この義務の対象となるのは、学齢期にある児童・生徒の保護者であって、これに反すると保護者は罪に問われることになります。つまり子どもには、「学校に通わなければいけない」という義務は本来ありませんが、ほとんどの子どもたちは、そのようなことに気付かぬまま、近くの小学校、中学校に通学していたことでしょう。
では、小学校、中学校生活が楽しかったかと問われれば、必ずしも全員が「ハイ」とは言えないでしょう。勉強が苦手な人、運動ができない人、人とコミュニケーションをとることが億劫な人など、学校という環境に長くいることが苦痛に感じたことがある人もいたことだと思います。まして、人間が集団で生活していれば、スクールカーストのような上下関係が発生することもありますし、いじめにあう可能性もあります。全ての人間にとって学校が「楽しい場所」「行きたくてたまらなかった場所」という訳ではないでしょう。
しかし、「学校に行かなくてもいい」ともしも言われたら、どうだったでしょうか。「万歳」と、大喜びしたでしょうか。学校に行かなくてもよい週末や夏休みは嬉しいものでしたが、家にいたらいたで、おつかいや何かの用事を親に言いつけられるようなことはなかったでしょうか。
それでも、現在の子どもを一見すると、衣食住はまあ恵まれているように感じます。全員が全員ではないかもしれませんが、好みの清潔な服を着、共用ではあっても自分の部屋があり、食べ物飲み物には不自由がない。やらなければならない家での仕事や役割もさほどない。このような環境にあれば、学校に行くことより、家で過ごすことを選択するかもしれません。
世の中の状況は、昔と今とでは異なります。どの年代を「昔」とするのは難しいことですが、何かの原因で、学校に行くことや学校生活を送ることに息苦しさを感じたら、心や体を休めましょう。気分転換を図るためにも、胸を張って学校を休みましょう。
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