記事の概要 今回は、現在の「6・3・3・4」制の下で、ひそかに進行している「6・6」制ともいえる状況について書きます。
前回記事(戦前と戦後の教育体制の変化 6・5・3・3制と6・3・3・4制)についてはこちら
第二次世界大戦前の入学試験
戦前では、小学校での6年間の義務教育後も学び続けるには、2年制の小学校高等科に進むか、入学試験を受けて男子5年制の旧制中学校(第二次世界大戦前の中学校)や高等女学校(第二次世界大戦前の女子高校)などに進学するかでした。
中学校に続く3年制の旧制高等学校(旧制高校、第二次世界大戦前の高校のこと)にも入学試験がありましたが、旧制高校と帝国大学(第二次世界大戦前の国立大学のこと)の定員はほぼ一緒でした。したがって、旧制高校入試が実質的な大学入試でしたので、中学校5年間の勉強が大学入試の合否を決定したといえます。
第二次世界大戦前の入学試験
戦後は、アメリカ教育使節団の調査・報告に基づき、義務教育は中学校卒業までの9年間に延長され、小学校が6年、中学校が3年、高等学校が3年、大学が4年という、「6・3・3・4」制が誕生しました。
大部分の生徒は中学3年で上級学校への入学試験を初めて経験し、高校の3年間を経て大学入試に挑みました。したがって、高校3年間の学習が大学入試の合否を決定していました。
しかし、東京大学を始めとした難関大学へ多数の合格者を出したのは、東京都立日比谷高校などの、旧制中学を母体とした全国各地の高校でした。
戦前への回帰、「6・6制」の大波
「日比谷に追いつけ、追い越せ」という掛け声の中で、中学・高校の6年間を一貫させて受験体制とする学校が現れました。そのような中高一貫校のうち、高校からの募集を行わない学校、つまり、高校からは入学できない学校を「完全中高一貫校」と呼びます。私立学校を中心に、「完全中高一貫校」が全国で増えていますが、東京都の私立学校を例に、その歴史を振り返ります。
東京都の私学では、都心にある女子学校、いわゆる「お嬢さん学校」が「完全中高一貫校」の第一陣となりました。これは、建学の精神に基づく教育を6年かけてじっくり行おうとする目的での「完全中高一貫校」化でした。
続いて、少子化の影響で、都立高校、私立高校の募集定員を減らすことが計画され、定員減が実施されました。この時多くの私立学校は、中学部を新設、または復活させることで、高校への入学者の確保に努めました。
一方で麻布高校などの一部の難関私立高校は、早々と「完全中高一貫校」化しました。これは、中学からの内部進学者と高校からの入学者との学習面での融合が難しかったからと言われています。その後、大学進学実績を向上させた中堅私立校が続々と「完全中高一貫校」化します。これは、6年間の独自の学習・進路指導が、大学進学に最適との判断からです。
1998年に学校教育法が改正されてからは、公立の「完全中高一貫校」が次々と誕生し、大学受験で確かな結果を出し、注目されています。今や戦前と同じく、12歳での、つまり、中学校受験が大学進学に直結していると言えるでしょう。
学校の「6・3・3・」制は、今や「6・6」制へと密かに姿を変えているのかもしれません。
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